みどりふぐの観察日記

広い心で読んでください。リズと青い鳥、響け!ユーフォニアムに関する考察、感想をひたすら述べるだけの突発性ブログです

天使にふれた彼女たちのその先は

 

https://twitter.com/2018_0421/status/1590721001306095622?s=46&t=IK7kevHCXJoe6kRSRPOHSg

 

これを描くにあたり劇場版を何回も何回も観たのですが、どうしても今までの自分の解釈ではすっと腑に落ちない箇所があり。
それが「天使にふれたよ!」の最後

「ずっと永遠に一緒だよ」

という歌詞でした。


青さここに極まれりな歌詞。
調べたらさすが、ここは澪ちゃんの書いたワードなんですね。


というのも学生時代、かたいかたい絆を築いた間柄だったにも関わらず
卒業以降、何かのタイミングでそれが解けてしまったという事案が自分にも自分の周りでもままありまして。

5人の女子の団体が「ずっと永遠に一緒」なんて、私の現実からすると残念ながら到底無理なお話なのです。

 

 

けど、もちろん私だって5人には「ずっと永遠に一緒」にお茶してバンドしててほしい。

 

その妄想のためには、彼女たちが「フィクションのキャラクター」の枠に閉じこめられることが、私にとっては必要不可欠でした。

 


あー、この歌詞で放課後ティータイムはファンタジーになるんだ。
シリーズが終わっても、妄想上の、かわいいふわふわのキラキラの、「理想の女の子」のままでいてくれるんだ。

 

私は最後の最後のあの歌詞に、そんなことを感じてました。

皮肉なんかじゃありません。
現実に疲弊していた当時の私は、それを手放しで喜んでさえいましたから。

 

 

 


けどその解釈って、どうしても矛盾が出るんです。


その理由①劇場版エンディングの描写。
http://priority1.blog51.fc2.com/blog-entry-1677.html
上記記事に素晴らしい考察があるとおり、エンディングは映画エコールになぞらえられていると推察されています。

つまりこの劇場版けいおん!は、一足先に卒業した青学年4人に対し最後の最後で「彼女たちの無垢な少女時代はもう終わり、これから大人の女性になるのです」というエールをひっそりと背負わせているということ。

 

 

そして②

たまこやリズを観るにつけ

山田尚子監督というのは「ずっと同じ関係性ではいられず、おとなに変わっていく少年少女たち」の変化をとにかく真摯に見つめ、
おなじ人間として対等に向き合う。

そういうお人なんだということを、

これでもかというほど受け取ってきました。

 


つまり
「山田監督って、そんなことさせなくない?
唯たちはファンタジーの女の子だから、ずっと永遠に一緒にいられるんだよ〜なんて描写、天地がひっくり返ってもしなくない?」
という矛盾です。

 

むしろ「アニメのキャラだからって、この子たちを、【ふわふわのきらきらの女の子】に閉じ込めて終わったりなんかしないんで。
女子大入ったってバイトでも合コンでもして、そのうち誰かしらは彼氏できてセックスするんで。
だってこの子たち、生きてるんで。」


そんな熱いメッセージさえ、勝手ながらどうしても感じてしまいました。

 

 

 

今回いただいたリクエストは「唯たち卒業前のブルーなあずにゃん」でした。


で、そのブルーを解き放ってくれたのが、4人の紡いだ「天使にふれたよ!」の歌詞であることは間違いないので、
あの曲に矛盾を感じたままでは、なんだかどうしても今回の話を進めることができず。

 

 

「ずっと永遠に一緒って、もしかしてそういう意味じゃないのかも。」

 

考えに考え抜いた末、
ある時ふとそう思いました。

 

 

部室がなくても、お茶がなくても。
誰かが結婚して子どもが産まれても、
彼女たちが集う理由からいつかバンドがなくなっても。
時に誰かが連絡取れなくなったり、遠くに行ったりしても。

 

この5人なら、形を変えてゆるやかに、
一緒にいられるんじゃないかな。
そうしたしなやかな絆が、彼女たちの未来を彩っているんじゃないかな。


なんかそうだといいな!ということで。

 

そんな未来が示唆できるような、
「ずっと永遠に一緒」という言葉だけに依存せず、これからも5人がずっと一緒にいられますようにと、
願いを込めてしたためたショートストーリーになったのでした。

 

 

社史編纂室員さまの温かいお言葉に甘えつつ楽しく進めさせていただきました。
おかげで唯たちとより仲良くなれた気がします。
彼女たちのことを考え続けたこの半年、とても豊かな時間でした。
社史編纂室員さま、そして見て読んでくださった皆さまもありがとうございました!