みどりふぐの観察日記

広い心で読んでください。リズと青い鳥、響け!ユーフォニアムに関する考察、感想をひたすら述べるだけの突発性ブログです

天使にふれた彼女たちのその先は

 

https://twitter.com/2018_0421/status/1590721001306095622?s=46&t=IK7kevHCXJoe6kRSRPOHSg

 

これを描くにあたり劇場版を何回も何回も観たのですが、どうしても今までの自分の解釈ではすっと腑に落ちない箇所があり。
それが「天使にふれたよ!」の最後

「ずっと永遠に一緒だよ」

という歌詞でした。


青さここに極まれりな歌詞。
調べたらさすが、ここは澪ちゃんの書いたワードなんですね。


というのも学生時代、かたいかたい絆を築いた間柄だったにも関わらず
卒業以降、何かのタイミングでそれが解けてしまったという事案が自分にも自分の周りでもままありまして。

5人の女子の団体が「ずっと永遠に一緒」なんて、私の現実からすると残念ながら到底無理なお話なのです。

 

 

けど、もちろん私だって5人には「ずっと永遠に一緒」にお茶してバンドしててほしい。

 

その妄想のためには、彼女たちが「フィクションのキャラクター」の枠に閉じこめられることが、私にとっては必要不可欠でした。

 


あー、この歌詞で放課後ティータイムはファンタジーになるんだ。
シリーズが終わっても、妄想上の、かわいいふわふわのキラキラの、「理想の女の子」のままでいてくれるんだ。

 

私は最後の最後のあの歌詞に、そんなことを感じてました。

皮肉なんかじゃありません。
現実に疲弊していた当時の私は、それを手放しで喜んでさえいましたから。

 

 

 


けどその解釈って、どうしても矛盾が出るんです。


その理由①劇場版エンディングの描写。
http://priority1.blog51.fc2.com/blog-entry-1677.html
上記記事に素晴らしい考察があるとおり、エンディングは映画エコールになぞらえられていると推察されています。

つまりこの劇場版けいおん!は、一足先に卒業した青学年4人に対し最後の最後で「彼女たちの無垢な少女時代はもう終わり、これから大人の女性になるのです」というエールをひっそりと背負わせているということ。

 

 

そして②

たまこやリズを観るにつけ

山田尚子監督というのは「ずっと同じ関係性ではいられず、おとなに変わっていく少年少女たち」の変化をとにかく真摯に見つめ、
おなじ人間として対等に向き合う。

そういうお人なんだということを、

これでもかというほど受け取ってきました。

 


つまり
「山田監督って、そんなことさせなくない?
唯たちはファンタジーの女の子だから、ずっと永遠に一緒にいられるんだよ〜なんて描写、天地がひっくり返ってもしなくない?」
という矛盾です。

 

むしろ「アニメのキャラだからって、この子たちを、【ふわふわのきらきらの女の子】に閉じ込めて終わったりなんかしないんで。
女子大入ったってバイトでも合コンでもして、そのうち誰かしらは彼氏できてセックスするんで。
だってこの子たち、生きてるんで。」


そんな熱いメッセージさえ、勝手ながらどうしても感じてしまいました。

 

 

 

今回いただいたリクエストは「唯たち卒業前のブルーなあずにゃん」でした。


で、そのブルーを解き放ってくれたのが、4人の紡いだ「天使にふれたよ!」の歌詞であることは間違いないので、
あの曲に矛盾を感じたままでは、なんだかどうしても今回の話を進めることができず。

 

 

「ずっと永遠に一緒って、もしかしてそういう意味じゃないのかも。」

 

考えに考え抜いた末、
ある時ふとそう思いました。

 

 

部室がなくても、お茶がなくても。
誰かが結婚して子どもが産まれても、
彼女たちが集う理由からいつかバンドがなくなっても。
時に誰かが連絡取れなくなったり、遠くに行ったりしても。

 

この5人なら、形を変えてゆるやかに、
一緒にいられるんじゃないかな。
そうしたしなやかな絆が、彼女たちの未来を彩っているんじゃないかな。


なんかそうだといいな!ということで。

 

そんな未来が示唆できるような、
「ずっと永遠に一緒」という言葉だけに依存せず、これからも5人がずっと一緒にいられますようにと、
願いを込めてしたためたショートストーリーになったのでした。

 

 

社史編纂室員さまの温かいお言葉に甘えつつ楽しく進めさせていただきました。
おかげで唯たちとより仲良くなれた気がします。
彼女たちのことを考え続けたこの半年、とても豊かな時間でした。
社史編纂室員さま、そして見て読んでくださった皆さまもありがとうございました!

【ネタバレあり】ラストシーン、希美がみぞれにかけた魔法とは

こんばんは。昼が暑いと夜の涼しさがより一層際立ってよいですね。皆様いかがお過ごしでしようか。

 

 

恥ずかしながらわたくし、先ほどツイッター
f:id:zunguri_69riz:20180516233108j:image
このように呟いたところ、さっそく

 

終盤の下校シーンで希美が急に振り返って何か言い、その言葉を受けたみぞれがとても嬉しそうに微笑む場面があると思うのですが、あの時希美はみぞれになんと声をかけたと思われますか?
https://odaibako.net/detail/request/54a725928c2f47f7858891f408368990 #odaibako_zunguri_69ri

 

という質問をいただいてました。
質問者様、早速ありがとうございます。最高です。

 


結論から先に申し上げますと、私、このラストシーンは控えめに申し上げましても何回観ても号泣しております。

 

というのも、もちろん質問者様と同じくこれについては私もすごく最初悩んでたのです。
ですが超アニメディアの東山さんのお言葉を見てからもうラストは涙なしには観られなくなりました。▶︎【インタビュー】『リズと青い鳥』みぞれ役・種﨑敦美×希美役・東山奈央スペシャル対談[後編]-「その一瞬で、ふたりの関係は唯一無二のものになったなと感じたんです」 | 超!アニメディア

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(インタビュー一部トリミング)

 

これだけで十分かとは思いますが、せっかく私のお題箱にこの質問をいただいたので、僭越ながら私の解釈を述べさせてください。

 

なぜ泣けるか。私には理由が2つあります。

 

 


嬉しかったのは言葉ではない

あの瞬間のみぞれの表情は「希美がなにか言ってくれた言葉が嬉しかった」のではなく、「希美が振り返って顔を見せてくれたことが嬉しかった」んだなと。

 

冒頭からエンドまでじっと希美の後ろをついて歩くみぞれですが、別にそれは嫌々連れられてるのではなく、むしろとても幸せそう。
振り子のように揺れる希美のキュートなポニーテールを、希美のその背中を、みぞれは愛しそうに見てますよね。(どんだけ好きやねんって話)

 

だからと言って私は、いくらみぞれと言えど「いつも私を引っ張って歩いてくれてるみたい!希美素敵〜〜!!!」とか考えてる、とは思ってません。

だってみぞれはクライマックスで

 

「希美はいつも勝手」

 

と言いましたよね。
それはきっと、後ろを歩く自分の歩幅も見ずさっさか先に歩いてしまう、そんな希美の歩き方のこともきっと暗喩していたと思うんです。「勝手」という言葉にはもちろんマイナスなニュアンスが含まれていますから、全肯定はしてなさそうですよね。


つまり何が言いたいかと言うと、みぞれは「背中もいいけど、願わくば希美の顔を見たい」と思ってたんじゃないかなと。

 

そういえば冒頭で、階段を2段飛ばしで歩く希美が階段の上からひょこっと顔を見せてくれた瞬間、みぞれの目はきらきらに輝いたじゃないですか。こっちを見てくれたことが嬉しかったんでしょうね。
もしあの時も「顔を見せてくれないかな」なんて願いながら背中をじっと見つめて歩いてたらって考えると、みぞれが愛しくてたまらないですね。かわいい。致死量。


そしてその希美は、最後に後ろに振り返ってやっとやっとみぞれを見てくれます。希美の顔は私たち観客には見えることはありません。

でも、きっと希美らしい、90分の映画の中で見せたどんな表情よりピカピカの快晴な笑顔なんでしょうね。それがみぞれにとってどれだけ嬉しかったか。あんなにかわいい顔で「はっ!」とよろこぶみぞれの顔を見れば想像に容易いですよね。


「みぞれ〜〜よかったね〜〜〜〜😭😭😭😭😭😭😭😭」の涙が止まりません。

 

 

 

ハッピーエンドの予感

東山さんのインタビューにある通り、「みぞれが希美を追いかける」歩き方はいつもの2人の関係性を表しています。それが、最後の一瞬だけ、向き合うんです。
向き合った2人が、これからどうなるのか。それは私たちにはわかりません。


それでも私はこのたった一瞬が、これから来る2人の幸福な未来を予感させてなりません。

 

この映画そのものは、「100人いたら100人がハッピーエンドだと思う」締め方ではないと思います。

ですが、この映画を作ったのは安心と信頼の山田尚子監督なのです。

 

何度も言いますが彼女たちの歩き方はいつもの2人の関係性を表しています。それが、最後の一瞬だけ、向き合う。そしてみぞれがあんなに嬉しそうに笑う。

これが私には、「山田監督が2人の未来にハッピーエンドが訪れるよう魔法をかけてくれた、そんなラストシーン」としか思えなくなってしまったのです。

 

このリズと青い鳥という映画単体は90分だけで終わってしまいますが、2人の物語はここで終わりではないですからね。

 

2人が幸せになる未来を想像するだけでわたしはまたもよかったね〜〜〜〜😭😭😭😭😭😭😭😭!!!!!の嵐が。

 

 

うまく伝わったでしょうか。私もうまく言葉にできません。とにかくあのラストは私にとっては 

 

①希美が振り返って笑顔を見せてくれた(みぞれはそれを願っていたから嬉しくて仕方がない)
山田尚子監督が用意してくださった、2人の未来に起きるハッピーエンドの予感

 

に対し
「みじょれ〜〜!!よかっ…


………………の涙が止まらんのです。

 

 

 

 

最後に

あくまでこれは「リズと青い鳥を見た1人のオタクの解釈」で、正解ではありません。


皆様もそれぞれ素敵なお答えを想像してると思います。そのお答えも大切にしてさしあげてくださいね。

ですがもし「いままで希美が何を言ってるのか気になってモヤモヤしてたけど、この記事でみぞれのラストの笑顔がより可愛く見えるようになった!!」って方が1人でもいらしたら私は幸せです。

 

 

「物語はハッピーエンドがいいよ。」


では。

思春期の少女が傷つく姿の美しさ

 

こんばんは。前回の記事、予想以上にたくさんの方にご覧いただいてて嬉しいです!ありがとうございます。

 

先日、リズ鑑賞7回目にしてやっとやっと希美の目線で観てみました。
希美の目線で観るのって今までずっと怖くてあえて避けてきたというか、希美がこの映画の中でもうあまりにも可哀想すぎて希美に感情移入して観たらまともに人間の形保って帰れない気がしてたので避けてたんです。

 

案の定無理でした。

もうこれから彼女に起こる全ての事象を知る私は「なにこれ!めっちゃ青〜〜い!」の時点で心が溶けて死にそうでした。

傘木希美という女の子に見えてしまった表と裏、それがあまりに等身大の女の子で、とても愛おしくて、傘木希美という女の子を好きにならざるを得なかったので、今回は「希美の人間らしさ」について書いていきたいと思います。よかったらお付き合いください。

 

 

 

ナチュラルボーン自信家がたまに顔を出す

明るくいい子、強豪校の部長になるくらいみんなの信頼も厚い。さらにフルートの技術もある。そうやって生きてきた希美は「色んなもの持ってる」「自分で自分のことをトクベツだとちょっと思ってる子」だったと思います。そして多分自覚があります。
いやいやあの鈍感の代名詞・傘木がそんなはずはとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが実は、「ちょっと傲慢なくらいの自信家」なのと、それに付随した「ちょっとみぞれ見下してる説」までもちょいちょい言葉に出ています。検証していきましょう。

 


①「なんかこの話、私たちみたいだな」

こちらのセリフ、おそらく物語開始10分くらいですが。傘木さん飛ばしてます。
2人が読んでいるのは、ひとりぼっちのリズとそこにやってきた青い鳥の話。おそらく2人とも、中学時代の自分たちを絵本と重ねています。
みぞれ側がこれをいうならまだ分かりますが、「ひとりぼっちだったみぞれの生活を私が楽しく【してあげた】んだから!!」みたいな自負がないとこんなこと口に出来ませんよね。

 


②みぞれをあがた祭りとプールに誘うシーン

まずあがた祭りのシーン。

 

のぞ「みぞれは誰か誘いたい子いる?」
みぞ(首を振る)
のぞ「…そっか!」

 

ここ、顔は見えてないんです。でも指先で机のふちをこつこつっ、と触るんです。いつかの舞台挨拶で希美役の東山さんも言及されてましたが、「そうだよね、みぞれならそうだよね。いないって分かってたけど聞いてみただけ。」って気持ちだろうなと。質問ではなく、ただの確認ですよね。

しかしプールのシーンでは違いました。
聞いてもないのにみぞれが自分から「他の子も誘っていい?」と聞くんです。顔が固まるも一瞬で
「へーみぞれがそんなこと言うの珍しいじゃん!いいよ。誰?」といつもの調子に戻してますが、完全に声が笑ってねぇ。あれが黄前久美子の口だったら全然よくねぇよって返してそうでしたね。あぶねぇあぶねぇ。
自分の知らないところで、「私にしかなつかないみぞれちゃん😀」が自分以外の世界を知ろうとしてるんです。傘木さん、ちょっとジェラシー感じてます。この子にも、そういうマインドがあったんです。


さて、もう1つ説を立証するための大事なシーンを紹介する前に、おさえておきたい大切なポイントを紹介しておきたいと思います。

 


とにかく「吹奏楽が好き」「フルートが好き」

大前提なんですが。好きすぎてたまに周りが見えなくなってますよね。でもこの部分がなければ、辞めたはずの吹奏楽部が府大会を突破して関西大会さぁ頑張るぞ!ってメラメラしてる時に「私戻りたいんです!」なんて言いに来れませんよね。そりゃ田中あすかも怒るわ。
リズと青い鳥に関しても「この曲、卯田さんがつけたんだよ!卯田さんいいよね〜〜」と、吹奏楽の有名な作曲家さんにも明るい様子。好きなんだねぇ吹奏楽
でも、だからこそ、次のセリフが痛いんです。

 

 


③「私、普通の人だから。みぞれみたいにすごくないから」

 

完全にダウト。痛すぎる。やめて!もう観客のライフポイントはゼロよ。
この言葉1つで「自分で自分はちょっとすごい女の子だと思ってた」ことと「ちょっとみぞれ見下してる説」が完全に立証されてしまってるんです。
この台詞、どこからどうとっても僻みなんですよ。
すごく誇張して言うと、「私がすごくてみぞれが普通の子だったはずなのに、違かったわ〜〜!」なんですよ。いじけてるんです。


引っ込み思案で友だちも少ない、希美がいないと何も決められない。オーボエの技術は一級品だったとしても自分に自信なんか全くない。
受動的に吹奏楽を始めて、「希美がいるからやる」「希美が行くから行く」「楽器だけが私と希美を繋ぐものだから」で続けてきた。
そんな、「私が楽しくしてあげた」「私より友達いない」「私がいないと何もできない」みぞれちゃんが、まさか自分より遥か上にいたなんて。
しかもトクベツだと思ってた自分はトクベツなんかじゃないと思い知らされる。普通の人。それで見下してた子に抜かれた。

 

あの頃の世界って、「部活の技術」ってすごく残酷なものさしとして確かに存在してたと思います。それが希美にとってはすごくすごくすごく大きな存在。上述した通りフルートと、吹奏楽が大好きだったから。
薄々感じてたけど、まざまざと見せつけられてしまった。 希美の負けん気の強さを思えば、どれだけ悔しかったかなんか自明の理ですね。

 

希美は吹奏楽が好きでフルートが好きで、「卯田さん」も知ってて、みぞれを誘ったのも希美
でも才能があったのはみぞれ。受動的に吹奏楽を始めて、「希美がいるからやる」「希美が行くから行く」「楽器だけが私と希美を繋ぐものだから」で続けてきたのに、新山先生に声をかけられたのはみぞれだけ。

あの生物室のシーン、希美は「正直ちょっとみぞれが重い。ずるい。嫌。」くらいまで来ちゃってますよね。
自分が誘わなければみぞれがオーボエを始めることはなかったのに。こんな気持ちになることはなかったかもしれないのに。 だから「ごめん、それよく覚えてないんだよ」。いや覚えてねぇわけねぇだろと。
希美が辞めたことでみぞれを傷つけたこと、わかってる。夏紀に相談したときは「あの時のこと、根に持ってたりしないかな…」だったけど、この時は「未だに根に持ってるの?」とでも言うように「昔のことでしょ」
その希美の「もうやめて」のSOSとも取れるその言葉が、あまりにも痛すぎて、あのシーンは本当に希美に感情移入して観たら死ぬ。
そりゃ悔しいし自分に嫌気がさすし泣くし嫌な言葉ばっかり使っちゃうよね。

 


テレビアニメでの希美はマジでただのいい子だったんです。
でも、マジでただのいい子って正直怖くないですか。

誰にでも人あたりよくて前向きで、何に対しても笑ってて、「すごーい😊!いいね〜〜✨👏!」しか言わない子って不安になりませんか。胡散臭いというか、そんなわけないですよね。スーパーネガティブの私にとって、そういうマイナスの感情母親の子宮に置いてきたんかみたいな人間は恐怖のレベルです。私は久美子みたいな子の方が人間らしくてよっぽど安心します。
でもあのシーン、今までずっと蓋をされてきた希美の「嫌な子の部分」が爆発してて、人間らしくてとても好きです。安心できます。

 

でも(前回も書きましたが)希美は、そんな自分を「軽蔑されるべき」と言うんです。「みぞれにこんな感情を抱いてしまう自分は最低」だと思ってるんです。やっぱりいい子なんですよね。

 

 

ふりむくな君は美しい

おそらく希美の人生って、中2位まで結構順調だったと思うんです。
所属してる吹奏楽部もつよく、その部内でも技術を認められてた。明るく人気者、みんなの中心人物。部長を務めるほどの人望もある。
しかしそれが中3でコンクール落ち、高1で辞めた部活が高2でめきめき力をつけて府大会を突破。自分の行動を後悔し、部に戻るも高3で親友に負かされる。
おまけに3年になる前部長に指名されたのは、中学では自分だったのに高校では優子(一度辞めたから当たり前だけど)。
この3年で自尊心が驚く程ボキボキに折られている。

 

でも私は希美みたく順風満帆できた子ほど折られて成長する姿はめちゃくちゃ美しいと思います。控えめに言ってわたしはドドドドクソ性癖です。

頑張って一皮剥けて素敵な女性になってほしい。

 

この真っ直ぐで優しくていじらしい女の子が、どうか未来で報われてほしい、と願うばかりです。

傘木希美は果たしてどこまで「鈍感」だったのか

テレビアニメの時からの印象、「明るくていい子!」「だけど鈍感」

一年の時に辞めてしまったとき、みぞれには声をかけなかった。

「みぞれ頑張ってたじゃん。そんな人に一緒にやめようとか言えるわけない」。

みぞれがどれほど希美を慕っていたかにも気づかずに。この時点では確実に「気づいてなかった」のでしょう。希美を演じる東山奈央さんも、よく希美のことを「まっすぐすぎてちょっとおバカ、鈍感」と評してました。2期終了時点では確実にこのような印象の娘だったと思います。

しかし、そうではなかった。
傘木希美、強豪校の部長を務めるだけありましたね。ただのおバカではありませんでした。リズと青い鳥で、希美の深い部分を覗き見することができました。
上手くできるか分かりませんが、少し書き綴ってみようと思います。

 

 

果たしてどこまで「気づいてなかった」のか

さて、私はずっと疑問だったことがあるのですが、果たして「希美はどこまで気づいてなかったのか?」ということです。
最初見た時、うまく腑に落ちない部分が何箇所かありました。「気づいてないなこの子…」と思ってた部分も希美、結構「気づいてる」んです。
それが出てきたのが、優子と夏紀に「私本当に音大行きたいのかな…」と吐露するシーン。

 

希美「楽器続けたいと仕事にしたいは同じじゃないし」
優子「それ、みぞれには言ったの?」
希美「言ってないよ。なんで?」

 

このシーン。なんで?が

すごくわざとっぽいんです。

答えはわかってるように聞こえるというか。「なんでそんなこと聞くの?」と口では言ってるけど、言葉の裏に「私が行かないって言ったらみぞれもやめるって言うのなんかわかってる。私、わざと言ってないんだよ。」

 

「だって正直、ちょっとみぞれ、めんどくさいんだもん。」まで聞こえてきそうでした。

 

 

優子「一年の時だってみぞれに黙って部活やめて、それでやっぱりやりたいたから戻ってきますって言って…」

このシーンの「一年の時だってみぞれに黙って部活やめて、」の時に希美が手をぎゅっとするんです。さらに

 

 

優子「みぞれをどれだけ振り回してると思ってるの!?それで仕事にするのはやっぱり違うから音大行くの辞めますって何!?」
(セリフは曖昧ですすみません)

 

この時なんかついに優子の目も見ずに親指の爪をいじってるんです。まるで親に「勉強しなさい」と言われた子が「そんなの分かってるよ、いちいちうるさい、めんどくさいな」というみたいに。


あの数秒で

「え、希美気づいてるじゃん」

って思ったんですよ。みぞれがどれだけ希美を好きか。自分がいなくなったらどれだけヤバイか。


傘木希美はただの鈍感じゃなかったわけです。

 

でもそうやって分かってると結構辻褄が合わないんです。自分の判断が全部みぞれを振り回すんだと、もし今までもずっと気づいてたとすると、希美めっちゃ嫌な子になりませんか?

 

  1. みぞれに黙って部活を辞める
  2. みぞれがもらったパンフレットを見て、この音大受けようかなと言う
  3. それを夏紀と優子に話した時、「希美が行くから私も…」というみぞれに「何本気にしてるの2人とも!みぞれのジョークじゃん😄」と言う
  4. みぞれに何も言わず音大いくのやめようとする


これら、もし全部みぞれの愛を全部分かってたのにやってたら結構嫌な子ですよね?

みぞれのこと嫌いじゃん?くらいまで来ませんか。でも希美は決してみぞれのこときらいなんかじゃなかったと思うんです。

 

 

「わざと気づかないようにしてた」

わたし的に一番腑に落ちたのはこれです。「気づかないようにしてた。」


みぞれが自分を慕ってくれてるのは分かってるけどだってそれは中学の時からの親友だからだもんね〜〜!😄くらいの感じ。
でも優子に指摘されて、「やっぱりそうだよね、薄々感じてたけど、どこからどう見ても、みぞれって私のこと好きすぎるよね。分かってたよ。」が出ちゃったんだと思います。

 

・みぞれに黙って部活を辞める

→この事件が和解したあたりで、みぞれの愛の重さにはうっすら気付き始めたのでは。

 

・みぞれがもらったパンフレットを見て、この音大受けようかなと言う

→みぞれの「私も!」に対して返しが「え?」だったので、このときは「え、進路まで私と同じにしたいの?」だったのではないでしょうか。「わかってたけど、そこまでか」というか。

 

・それを夏紀と優子に話した時、「希美が行くから私も…」というみぞれに「何本気にしてるの2人とも!みぞれのジョークじゃん😄」と言う
→なんとなくジョークじゃない気はしているけど、気づかないふり

というか「ジョークであってくれ」とでも言うように、みぞれの本音を押しつぶしていたようにさえ聞こえます。

 

・みぞれに何も言わず音大いくのやめようとする
→みぞれが傷つくのなんか絶対わかってる

 

ちゃんと、段々、みぞれの愛の重さをわかってきてるんです。希美は。

 

 


「むしろ軽蔑されるべき」

さて、希美はその「うすうす分かってたみぞれの愛情」をどう思ってたか?
もちろん嬉しい気持ちもあったと思います。でも、正直「重い」と感じる部分もあったのではないでしょうか。「あそこまで自分のこと好きな人」って普通怖くないですか? 私がやるからやる。私と進路同じにする。たまにこういう女の子いますけど私は結構怖いです。
だって彼女が好きなのは「幻想の私」であって私じゃないんです。みぞれって希美の全部が見えてるというより「希美が好きすぎて、何があっても希美の全部を脊髄反射で肯定してしまう」、いわば宗教的かつ盲目的な「好き」ですよね。
行き過ぎて「希美の中の希美」と「みぞれの中の希美」が違う人みたいになってしまってる時があると希美は感じている。だから「みぞれが思ってるような人間じゃないよ」。 「なんでそんなに言ってくれるのかわからない」。

 

「私、みぞれが思ってるような人間じゃないよ、むしろ軽蔑されるべき」

 

この一言にそれが詰まってましたね。今までみぞれの愛情に見ないふりをしてきたこと、あまつさえそれを重いとまで感じてしまってたこと、心のどこかでみぞれを見下してたこと(これについては今回述べてませんが後日また書きたいと思います)。
でも希美の希美たる部分って、「みぞれにそういう感情を抱いてしまう自分は最低だな」だと思ってるんだろうなってところ。だから「軽蔑されるべき」という言葉が出てしまう。
やっぱりいい子なんですよね、傘木希美。

 

 


物語の結末として

みぞれは青い鳥になれたけど、希美はリズにはなりきれませんでした。

 

「私、みぞれのソロを支えられるよう頑張るから。それまで、ちょっと待ってて。」

 

鳥かごは開けたけれど、手放しで「行ってらっしゃい」とはまだ言ってあげられてないんです。そもそもふたりでソロなんだから「支えられるよう」ってのもおかしな話なんですけどね。楽器の技術に自信がなくなっちゃったばかりだからちょっと卑屈になっちゃってる、という感じでしょうか。
映画はまだ続きます。久美子二年生編。そこで、希美がみぞれに「行ってらっしゃい」と言えるのか、楽しみですね。